OTRAメンバー紹介
今日は、世界大会でも数々の受賞歴を持つ「ウルトラの女王」にインタビュー!
貝畑和子
1953年6月27日生
大陸横断や砂漠を走破するレースなどの超長距離に無類の強さを発揮。
2002年には「ランナーズ賞」を受賞。
2013年にはトルデジアン330km(累積標高24000m)を見事完走、カテゴリー優勝。
視覚障害者の伴走グループ「ももたろうパートナーズ」の共同代表者でもあります。
■ 主なマラソン・ウルトラマラソン歴
1987 大阪国際女子マラソン初出場
(以降17回連続出場-PB2:57)
1994 ギリシャ・スパルタスロン
(246km:35時間57分完走)
2000 ヨルダン砂漠レース
(160km 3位)
2001 サハラマラソン・モロッコ
(250km 女子2位)
2002 ラン・アクロス・アメリカ
(4,961km 女子1位)
2003 トランスヨーロッパレース
(リスボン-モスクワ2,000km 走行後怪我でリタイア)
2004 シベリア大陸横断マラソン
(10,417km、2月~10月 217日)
2005 サハラレース・エジプト
(250km 女子2位)
2006 ゴビマーチ・中国
(250km 女子1位)
2009 トランスヨーロッパレース
(イタリア-ノルウェイ 4,489km 女子3位)
2011 UTMB
(ウルトラトレイルモンブラン 160k )
2012 トランスヨーロッパレース
(デンマーク-スペイン 4,300km 女子2位)
2013 トルデジアン
(マッターホルン・モンブラン・モンテローザ 330km 完走)
2014 ウルトラインディレース
(インド 200km 女子1位)
ウルトラボリビアレース
(標高4,000m ウユニ塩湖 170km 完走)
では、どんな人なのか?
簡単な質問に答えてもらいました。
Q.走り始めたきっかけは?
A.辛い出来事があり、塞いでいた時に友人に誘われました。それで少し楽になり、元気になりたいと思い走り始めました。
Q.印象に残るレースは?
A.2000ヨルダンデザートカップ。砂漠を100マイル48時間以内に走るレースです。生まれて始めて見た砂漠の景色。地球とは思えない雄大さ、星空の美しさに感動しました。
Q.日頃の練習は?
A.近くの里山を歩いたり走ったりしています。ロードでは視覚に障害のある仲間とゆっくりジョギング。
Q.自粛中のトレーニング、チャレンジ、目標は?
A.人の入らない里山を選んで、植物図鑑を携帯して名前を覚えながら散歩しています。
Q.一番好きなトレイルは?
A.総社市の鬼の城付近のトレイルです。
Q.お気に入りの補給食は?
A.梅干し入りおにぎりです。
Q.コロナ終息後にチャレンジしたいことは?
A.ラストデザートと言う南極大陸の250キロを走るレースです。
Q.ベストレースとその理由は?
A.2002ランアクロスアメリカという北米大陸横断レースです。
ロサンゼルスのビーチをスタート、ニューヨークのセントラルパークがゴールで約5000キロを71日で走ります。
娘がサポートしてくれて、モジャブ砂漠、ロッキー山脈などの厳しく雄大な景色の中を走り抜けたこと。
娘と朝日を見ながらスタートして、他愛ないお喋りをして、食事を作ったり、洗濯したり日常に近い暮らしをしながら、走ったことは大切な思い出です。
Q.何故走り続けるの?
A.苦しかったり、つらいこともいっぱいありましたが、それ以上に周りの人の優しさや夢を見る力強さに感動をもらったから。
それと美しい地球の大自然に身を置かせてもらえることの喜びを感じたいからです。
Q.ウルトラを走るきっかけは?
A.始めて走ったのが100メートル。
次の日に200メートルと距離を伸ばすこと、どこまで走れるのかなと思う好奇心がスタートです。
私のウルトラマラソンは完走率、50パーセントなので、決して向いていると思えません。
Q.フルマラソンのベストタイムは?
A.1990大阪国際女子マラソン2時間57分25秒
Q.初の海外レースと、その時にご家族に何と伝えられたのですか?
A.1994スパルタスロン 246キロを36時間以内に走るレースでしたが、主人は一般的ではないことが嫌いな人なので反対されることは覚悟していました。
予想通り「とんでもない!」と。共通の友人たちが説得してくれました。
Q.海外でのレースでアクシデントの時など、言語の問題はどうされているのですか?
A.一番大変だったアクシデントは2003ヨーロッパ大陸横断レース。
ポルトガルのリスボンから、ロシアのモスクワまで5400キロを64日で走ります。1日目のシャワールームで転倒し、尾てい骨損傷。損傷のまま、2100キロパリまで走り続けました。
そこで断念リタイアしたのですが、パリからの航空券がなく、お金もありませんでした。
空港で一週間、シュラフで寝泊まりしながら、日本人スタッフのいる病院を探して診断書を書いてもらいました。
航空会社と交渉の末、ようやく帰国できました。
今まで行かせてもらった国は、英語さえ通じない国が多いのですが、知っている英語と、その国の言語を総動員して、身振り手振りで話します。
Q.海外レースに挑まれる時のジンクスや御守り、大事にされている事はありますか?
A.一緒に参加しているランナーはもちろんのこと、レーススタッフ、地元の人たちとの、ふれあいを大切に思っています。
その国の「ありがとう」「こんにちは」「美味しい」を覚えてしょっちゅう使います。
ジンクスはありません。御守りは友人に頂いたもののみで自分では用意しません。
Q.女性で超長距離を走るのは体力的にかなりキツイと思いますが?
A.ウルトラレース、アドベンチャーレースは、様々な自然の変化、自分自身の身体にアクシデントが起こります。
レース中の長い時間、極度の緊張をもって望み続けるのは難しいし、何かあった時に集中していくためにも、心にいくらかのゆとりも必要かな?と思っています。
女性の方が人と競う気持ちが少ないので、その点向いているのかな?思っています。
Q.今までで走った一番の長い距離は?また、そんなに長い距離を走る理由や楽しみは?
A.2004年2月から10月まで210日かけて、シベリア大陸10417キロを走りました。
バルト海沿いのサンクトペテルブルクから、日本海のウラジオストクまで。
楽しみはそこに生きる人たちの暮らしにふれること、一緒に笑うこと、見たこともなかった美しい自然に出逢うことです。
シベリア大陸横断と宮本さん(視覚障害者ランナー)との日本縦断走り旅(1999年 63日間で走破)はレースではありませんでしたが、私の大切な時間だったと思っています。
何回もの大陸横断レース、砂漠やトレイルレースに参加させて頂くことができたのは、走ることの喜びはもちろんですが、それを超える家族、友人たちの支えがあったからと思います。
感謝です。